春は薪割りからはじまる No.5

薪割りをしていると自然界の昆虫のひっそりとした生息域に遭遇することがある。昨年秋、山から伐出したナラの幹に繊維を噛み砕きトンネル内に卵を産み冬を越しながら眠っていたカミキリムシの蛹と成虫に出会った。小学生の頃、カブト虫、クワガタ、セミ、バッタなどを補虫しながら林の中を駆けまわった昆虫少年でさえもこのような場面を垣間見ることはできなかった。蛹はトンネルの奥に頭部を確保しながら、ナラの繊維を餌にし後方には3センチくらいの長さの繊維をからみ合わせ、入口を塞いでいた。成虫は、暖かくなったからそろそろ自分の顎を使いトンネル内部を噛み砕きながら、自然界への巣立だとうとしていたのだろう。カミキリムシのスタイルの特徴である触角は、身長より長く立派に後ろに伸び、大顎、脚ともがっしりしていた。つかみ取ると「キーキー」と威嚇の声を発し、つかんだ指に向かい噛み付こうとする。このように幼虫は発見できなかったが、蛹と成虫が同時に見ることができたことは、木の幹の中で卵から成虫まで数年間すごしていることが理解できた。

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幹が太く固い場合はエンジン油圧の薪割り機を使う

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カミキリムシの蛹

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立派な成虫

岩手・宮城内陸地震をのりこえてください

14日朝、発生した岩手・宮城内陸地震は、中山間地に被害をもたらした。そのため東京ドームの数十倍もの土砂が流失し、山の斜面が崩壊した生々しい爪痕が地震エネルギーの規模と被害の様子を物語っている。あらためて被害者のご冥福と被災者の皆様に心からお見舞いを捧げます。
数10年前、陸中海岸と内陸部の奥州平野、奥羽山脈を徒歩で歩いたことがある。山間部は細く急峻の山道が続いていたのを思い出している。テントをリュックに携帯しているとはいえ、夕暮れ迫る黄昏どきになると、人通りも少なく心細かった。ときどき点在している民家の庭先から「ゆるくないな(大変だな)。良かったら休んでいけや」などと声をかけられたことが数回あった。そのたびに、庭にテントを張らせていただいたり、久しぶりに畳の部屋でくつろぎ、そのうえ夕飯と風呂を持て成してくれた。今でも親切心を忘れないでいる。
さて、地震発生から一週間が過ぎその被害状況が随時明らかになって来た。山間地のため農業生産者、特に和牛、イワナ、イチゴなどの地形と風土を生かした特産品に農民の嘆きの声が聴こえてくる。夏場でも冷涼な山間地の気候を利用したイチゴ産地として知られる宮城県耕英地区の様子が昨日、ラジオで中継されていた。幹線道路が寸断さっれ孤立し、最盛期のイチゴを出荷することができなく天日に晒された山積みのイチゴ箱から甘い香りがただよい、生産者の無念さを一層強く感じた。豊かな自然環境を生かし、農業生産することに生活の生業を支えにしている農民の不安、悲しみにこれからも耳を傾け情報を収集していきたい。被災者のみなさんに国の支援・援助が施策実行され、再び立ち直ることを願っている。

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イチゴの花

ミツバチ日記  No.3

白や黄、橙の花粉に
鮮やかに染まりながら、
かすかな羽音を残して
飛び立つミツバチ。
木々の若葉が芽吹くと花を訪れ
体重の半分もの花蜜を採取し、
巣房へ持ち帰るミツバチ。
人間とともに約8000年前から
深くかかわってきた
社会性昆虫に興味はつきない。

花咲く牧場と鳥が歌い、
ハチミツがたっぷりある森は
「乳と蜜の流がるる里」(旧約聖書)
といわれている。
そんな桃源郷のような世界で
生命は自然と共に
循環しているようだ。

養蜂を始めて7年になる。出発の動機は、本物のハチミツを多くの人たちに認知してもらうことであった。気負った使命感のようなものを抱きミツバチを取り寄せたことを覚えている。
前記の私の創作した詩の中にあるように、太古の昔からユートピアは「乳と蜜の流れる里」と表現されていた。また紀元前400年前後のギリシャの医学者、ヒポクラテスは「乳はもっとも完全に近い食物である」と述べた。日本でも1000年も昔に乳製品(蘇)とハチミツが朝廷や貴族への貢納品となっていた。そのハチミツの国内産は、1割にも満たず9割近くを中国から輸入している。それも水飴や加糖の混入した偽装にも近い密が大量に日本の市場に出回っている。それを容認している公正取引委員会に対し大きな憤りを持っている。少しづつだが、私のハチミツを始めて試食し、本来持っているハチミツの香りと味に驚いた人が多い。採蜜期になると忘れないで注文の声をかけてくれる人が増え、花の恵みと人とミツバチの共存に理解を示す広がりが形成されていることは、嬉しいことだと思っている。

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女王蜂は1日2,000個の卵を産む 巣箱の中は働き蜂とオス蜂で一杯になる

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巣門の前は花を求めて飛び立つ蜂と花密と花粉を採取した働き蜂とのラッシュアワーが続く

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花密は巣版の表裏の巣穴につめられ蜂は羽であおぎ水分を蒸発させハチミツにする。熟成するとロウで穴を封印する。上の写真は半分の白い部分が熟成した蜜

考える葦(ヨシ)について

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」哲学者パスカルの有名な『パンセ』の一節である。葦はヨシとも言われ、滋賀の琵琶湖周辺にはヨシ原が広がりスダレ、屋根葺きの材料や粉末にしてアイスクリームやケーキなどのお菓子にも加工されている。また河川の窒素とリンを吸収し水質の浄化作用にもなっている。私は梅雨に入ろうとするこの時期、魚野川や湿地帯に出かけヨシ刈りに精をだす。ヨシの丈は約130センチ。密集しながら真直ぐに伸びたヨシを左手でつかみ、右手に握った鎌で刈っていく。葉がザワワと擦れ、ザックサックと小気味良く刈られ、草いきれと川面を渡る風が快い。時には、子育て中のヨシキリに遭遇することもある。両手で抱えるくらいのヨシ束を肩に担ぎ、土手を登りトラックの荷台まで運ぶことを20回以上往復すると、作業服がぐっしょりと汗で濡れる。約2時間くらいで軽トラック3台分になる。
5年前から畑のマルチ用としてヨシ刈りを続けている。始めはカヤ利用していたら、親類の古老が「カヤは繊維が硬く3年位まで畑に残るが、ヨシは柔らかく1年で土に還元され堆肥となる」とアドバイスしてくれた。長年の生活の知恵を教えていただきありがたかった。主に畑のマルチには、ビニールマルチを使っている人が多いが、私は、特別の場合を除きヨシや、雑草、残さを使って畝を被っている。

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三用川の河川 中州には一面ヨシが自生していて左側にわずかに流水が流れている窪みが見える

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河川敷のヨシを刈り、束ねたヨシを担ぎ左側の土手を上る

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畑に敷きつめたヨシのマル
左奥からカボチャの白爵、縞瓜、ウコン、トンネルの中はプリンスメロ

果実酒の楽しみ

自家菜園のイチゴを初もぎしたのは、5月22日である。近所の人が「早く採れたね」といってくれたのを覚えている。4週間ぐらい過ぎると小粒イチゴが多く収穫される。この時期になるとジャムと果実酒に加工している。また大粒のイチゴは、冷凍保存して夏に氷イチゴとしてを口の中に放り込んで一時の涼を味わっている。
先日、採取し保存していた桑イチゴとイチゴの果実酒に仕込んだ。ホワイトリカーが一般的だが焼酎を使いその中に氷砂糖をいてる。アルコールの浸透圧によって果実のエキスが抽出され2、3ヵ月で酒飲できる。木の実のサルナシ、イシナシ、アンニンゴ、グミや果物野菜のプラム、梅、白桃、カリン、金柑、イチジク、さくらんぼ、生姜などを作ってきた。香と味、そして透明感のある色を楽しんでいる。

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朝採りイチ 最盛期はこの笊一杯になた

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イチゴと桑イチゴの果実酒を仕込む

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3から5年間熟成された果実酒の一部

桑の実

親愛なるMaiへ
今日は、ワクワクした発見と素晴らしい体験の1本道を気持ち良いように風を切りながら疾走し、八色橋を渡ると浦佐天王町に入る。その入口右側に休耕地に桑の木があるのを数日前に発見したんだ。10数年通いなれているのにこれまで気付かなかったのはなんとも迂闊だった。自動車から自転車に切り替えたことによって、雲の流れや花の匂いなどの気候や季節の移り変りにとても敏感に感じるようになったと思う。さて、桑の実は今が食べごろ。周辺の住民の方もそのへんは熟知しているのだろう、木の周りには摘取った跡と下の薮草が靴で踏み固めてあった。用意していた広口ビンの中は数分で一杯になった。
Mai、今では八色原は、豊かな水田地帯になっているが、僕ら小学生の頃は鬱蒼とした薮原だった。ちょうど養蚕が盛んで、畑に桑の木を栽培していたのを記憶しているだろう。いつも一緒に桑畑に出かけてはフキの葉っぱの中に実を入れ、思いきり掌で絞り大きく開いた口の中へ注いだ桑の実の味を覚えているだろうか。ぼくは今朝、黒く熟した実を口に入れた。粒つぶした実を軽く歯で噛むと、甘味とほのかな酸味、野趣の味が口の中に広がった。“ナツカシイ”という味覚の記憶と感情。過去に浸るのは好まないけど、想い出がよみがえる体験というものは、何にも換え難い追体験だと思うし、人生の豊かさを知るのだ。
この桑の実を使って果実酒を仕込むつもりだ。ちょうど梅明けの頃に熟成されることだろう。Mai、オンザロックの桑の実酒で夏の宵に語るのも一考だと思う。

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休耕地の薮の脇に桑の木はある

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下から眺めると黒い実が熟していた

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夢中で採取していると果汁で指先が染まっていた

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数分で広口瓶一杯になる

絹サヤエンドウ

今年、当社で坂西道子さんの第2集の自費出版本を制作したとき、表紙にスイートピーを添えてほしいとご本人から依頼された。そのときスイートピーがマメ科の植物であることを始めて知リ、赤い花を水彩画で描いた。今収穫期を迎えている絹サヤエンドウを観察すると同じマメ科であることが理解できる。
雪が消えてもまだ寒気の残る4月上旬、緑色の絹サヤのマメを蒔いた。今では、私の身長を超えサヤの収穫期している。絹サヤは茎と葉も同系色なので摘取るときよ〜く眼をこらさないと見のがす場合が多い。食卓でつやつやとした鮮やかな緑とシャキとした食感、ほのかな甘味の残る絹サヤをいただいている。

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「ここまでの記」の表紙に添えた赤いすいとーピー

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2メートル以上に育った絹サヤ

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朝日を受けて咲く白い花

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収穫した絹サヤ いま最盛期を迎え近所、友人に配り食べてもらい甘く美味しいと評判

作物から学ぶということ 其の2

玉ねぎが大きくなってきた。種を蒔き、苗を育てながら玉ねぎを6年間関心を持って栽培してきた。昨年秋、苗が多く余ったので知人3人に分けてやった。収穫期を前に順調に育っているという連絡をいただき喜んでいる。始めの2年間は、種を蒔く時期が早く秋にトウがたちピンポン玉くらいにしか収穫できなくがっかりしたことがあった。それでも玉ねぎは半年以上貯蔵でき冬の食卓を豊かにしてくれ重宝している野菜の一つだ。また、数年前、NHKの人気番組「ためしたガッテン!」で玉ねぎドレッシングの作り方と、効用を放送していた。玉ねぎは刻んだまま10分ぐらい過ぎてから調理すると、血液の流れをよくする薬用効果があることを知った。マヨネーズ志向をやめ玉ねぎドレッシングを手作りし、自家野菜を手軽に食べている。太陽の光を育み、艶やかな壷に似た形の玉ねぎは栽培の奥ゆかしさ、そして独特の辛味と甘味を含んでいるから食べることも大好きな野菜である。

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ブルーベリー日記  No.4

ブルーベリーの実が5ミリほどになりました。7月の上旬になると収穫期を迎える。
自由に誰もが採取できるブルーベリー農園を開きたいと夢を抱いている。私のブルーベリーの将来像は、ジャムやジュースに加工し、養鶏やミツバチの採蜜とパン工房を学べる体験農園を設立することである。

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枝の先端には5ミリ位の実がつき約2週間すると熟する

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今年の目標はブルーベリの木を多く増やすことである
昨年秋から育ってている挿し木した苗

野菜作りと交流

経験の浅い私なので、野菜作りの手ほどきを篤農家や師と仰ぐ人からアドバイスをいただくことも多い。トウモロコシの葉は横に広がるので苗の向きを畝に対して垂直に植えることや、根の張りを深くするために水はやらない方が良いなど、畑に案内し親切丁寧に現場指導してくれるので本当にありがたく思っている。経験豊かなお年寄りは、惜しみなく野菜作りの手ほどきを親切に教えてくれる。
先日、同級生の友人のお父さんから、「野菜苗が余ったから植えてくれないか」とカボチャ、八つ頭、枝豆など10数本の苗と一緒に、栽培法などを詳しく書いたメモが添えれれていた。千葉に住む友人が5月の連休に帰省し、彼の家でお父さんも含めて酒を酌み交わしたことがあった。話題が野菜作り移ったとき、「こんど野菜の苗が余ったら届けてやる」と話していたことを思い出した。忘れないで届けてくれた苗は、種から育てポットの中でシッカリ根を張り太く、しっかりしていた。八つ頭は始めての栽培だし、枝豆、カボチャはうまい品種だと自慢していたから収穫時を楽しみにしている。
10年前から近くの小学校の脇で、地域の人たちが野菜を直売している。地場野菜のほうれん草、ネギ、苺などががようやく収穫できるようになり、今年も6月4日に直売所が開設された。住宅分譲地に移り住む人たちが増え毎日にぎわっているようだ。1っヵ月ほど前、その直売所を運営している一人の方から、看板を制作してほしいと頼まれた。いつものようにのんびり構えていたら、注文者から催促され開店1週間前の5月30日にあわてて設置した。
パーマーカルチャーについて関心のある人が、訪ねてくることがある。不耕起栽培の野菜作り、養蜂、養鶏などの循環型社会についての夢や希望を語り合うことは、知識を得る楽しい交流の場でもあるのだ。

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友人の父親からの伝言

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5月30日に設置した看板 6月4日の開店に間に合ってほっとしている