栃もち作りに入る前に、私と栃の実との出会いについて語ることから始めよう。中学生の頃、秋の深まる2学期になると栃の実を持ってくるクラスのM君がいた。彼の学生服のポッケトには、いつも栃の実を1個忍ばせていた。彼は休み時間になるとやおら栃の実を取出し、唇につけ「ピー」と吹くのだった。私は初めて栃の実を見ると同時に、笛にもなることを知り驚いたことを覚えている。栃の実は、栗に似ていて丸く固い鬼皮につつまれていた。山から実を拾い数週間天日干しし、キリで穴を開け中の実をほじくり出し空洞にして作ると彼は言っていた。栃の笛は、実の掘出し方によって微妙に音色が違い、木の実の素朴な音がしていた。それが初めての栃の実との出会いである。
8年前に、友人3人で旧大和町の自然観察会をしたことがある。魚野川に沿いながら町内を縦断している段丘に沿って、その地形と植物分布を調べた。また各地の湧水や巨木も調査した。巨木を探しに走り回っていた時に、堂島新田部落の神社に大きな栃の木があることを発見した。東と北方向を山に覆われ、杉の木立に囲まれていた。そのためか幹周りは、2メートルもあるのに樹冠の勢いがなく、南のわずかな太陽の光を受けホーノキに似た葉っぱを広げていた。季節は夏だから、花も実も見ることなく初めて栃の木の木を目にし木肌に触れた。
それから2年前、湯之谷に住むHさんから長岡の新産センターの街路樹に栃の木が植えられていると言う電話があった。彼は新産センターの一画にある会社に勤め通っていた。それと同じころ、六日町のNさんが秋山郷へ紅葉狩り行き、おみやげに名産「栃もち」を届けてくれた。琥珀色の柔らかいもちはほのかな甘味を含み口の中へ滑るように入っていった。このように二人の友人の朗報によって栃の実という自然の恵みが現実味を帯びてきた。
昨年9月17日、長岡に向かい街路樹の栃の実をレジ袋に約6袋拾い集めた。両側の歩道には、栃の街路樹がつづき車道に落ちた実を誰かが拾た跡もなっかた。道を歩く長岡の人たちは栃の実に無関心に通り過ぎていくのだろうか?
帰りに車を運転しながら春には蜜蜂を放ち、秋には栃の実を拾い、立春が過ぎ春の兆しが感じられる頃には栃もちを作る…………。そんな夢が駆巡ったことは言うまでもない。