我が家の隣の爺さんは10年前に亡くなった。92歳だった。私のおふくろの葬儀を見送ったあと、急に体の変調を訴えてそのまま逝った。長く床につくことなく大往生だった。
爺さんは多趣味だったが、とりわけ凄かったのはその持ち前の頭の良さというか記憶力を駆使して、南魚・北魚の全集落名、県内112市町村名は言うに及ばず、世界183ヶ国の国と地域名を暗記していることだった。
我が家にもよくお茶を飲みにきて、誰も頼まないのに滔々とそれを披露し、その知識に感服している私たちを尻目にうれしそうに帰っていく好々爺だった。
バブル景気の頃、大和町にいわゆる外国人労働者の方々が大勢働きにきていた。その人たちが鋪装工事で私の村にきた。
労働者が爺さんの家の前で休憩をしていた時、ヒョッコリ玄関から出てきて、彼らにたずねた。
「黒人の方々がいっぱいいらっしゃるが、どこから来られたかな?」
片言の日本語が話せる一人が言った。
「ジイチャン、ワタシタチハ『ジャマイカ』カラキマシタ。ジイチャン、『ジャマイカ』ワカリマスカ?」
言った相手が悪かった(というか、良かった)。
「ほ〜か、ジャマイカはカリブ海の中心にあってハイチ、ドミニカ、ホンジュラス、キューバに囲まれた国だ。ボーキサイトを主原料にして発展してきたが、最近では観光にも力を入れている。首都はキングストンだ。」
これを聞いた労働者たちは驚いた。日本語はわからなくても、その地名の発音で自分たちの国や周辺の地域が魚沼なまりではあるが聞き取れたからだ。
10数人の労働者たちは涙を浮かべながら爺さんに替るがわる握手を求めたという。
酒は一夜にして7人の友を作るといわれる。しかし、地理の趣味は一瞬にして数百人の友を作ることができる。
もしかして世界平和もそんなことから実現できるかもしれない。