作物から学ぶということ

毎年、約40数種の野菜や果実を作り収穫している。まだ百姓の野良仕事経験が浅いけれど、その中で一番面倒をかけて栽培しているのが玉ねぎである。お盆過ぎに種を播き冬を越し7月に収穫するのだが、秋に丈夫な苗を作ることで玉ねぎの良否が決まるといっても過言ではない。当地では玉ねぎを作る農家はあまり見かけないし、作っているとしても10月ごろになると種苗店で苗を購入し定植する。
私の場合は、良く耕した種床に〇.数ミリの細かい玉ねぎの種子をすじ状に播きその後、秋雨が続くので雨よけのトンネルを作る。二つの芽が開脚状に開き上に胞子の帽子を冠ったように発芽する様子は、まさしく命の芽生えに出会った瞬間だ。やがて3週間程すると4センチになり玉ねぎの苗だと分かるようになる。成長の遅い苗は間引く。生育を促進し風や光を良くあたり病気感染を防ぐために間隔を空けるために間引きをするのである。このことがわたしはどうも好きになれないでいる。すべての野菜は、株間に3粒くらい種を播き苗が成長すると間引きし優秀な1本を苗として残す。そのために数本の苗を育成するために3倍の量の種子が袋に入っていることになる。同じように人間社会でも、ダムやトンネルなどの危険な工事を請負うとき「人損」を想定し作業員を配置する。優劣にこだわらず苗を育てたいと思っている。1本1本が凛と真直ぐに立ち、しっかりと根を張っている苗を夢に見ている。野菜を生産し生業としているなら商品価値の高い作物を作らなければならないけれど、私のような人生を楽しみ自給を旨とし余ったら隣近所、知人に分け差しあげる。だから、大きさが不揃いでも虫食いでも自分なりに丹精込めた野菜たちには愛おしい気持ちを抱く。だから、種を播き発芽し、苗として育ったならば株分けして育てていきたい。

4月下旬頃の玉ねぎの畝


玉ねぎは有機肥料を多く与えないと太らない。畝に蒔いてあるのは発酵飼料としての小糠。その上に鶏糞と油粕を追肥する。