母は脳硬塞による痴呆で3年寝たきりの後、往った。父はアルツハイマーの痴呆、寝たきりを13年経て往った。両親を介護してくれた妻は言う。「あなたはどっちから考えても痴呆と寝たきりのサラブレッド」。
健康志向が語られて久しい。以前は「病気がちな人がいかにすれば健康をとりもどせるか」が、ウェートを占めていたのが「この健康を持続するにはどうするか」が、議論され、さらに進化して「健康でいて何をするのか」と、語られはじめた。健康であってもゴロゴロとテレビを見ているだけだとしたら—夫婦でダラダラ愚痴を言い合っているだけだとしたら—健康とは言えなくなってきている。
妻のキツイ宣告に反発するようだが、内心、私は痴呆にはたぶんならないなと、近頃確信めいたものをもっている。それは10代の頃から指先を一生懸命動かし続けてきたクラシックギターにほかならない。どうしても弾けなかった名曲が、汗をかきかきどうにか暗譜できたときの感動は、どう表現したらいいか言い表せない。しかも中高年になってその暗譜力は益々増してきているように思う時、楽しくて、うれしくて、もったいなくて、とても痴呆になっていられない。そしてその感動を、充実感を持続するための体力づくりはもちろん欠かせない。さらに日本文や英文の音読も脳の活性化にかかせない。それらは仕事の感動はもちろんのこと、暗譜の感動のためにある。
プロスキーヤー三浦雄一郎氏は叫ぶ。「何のために健康でいるのか。その目的があるから健康の価値。充実した人生がある」